フラワーパーティ 1



八月、夏休み半ば、世間はお盆の時期。

学校もこの時期が一番閑散としている。


「聡!これ見て!これが一番ベストショットだよな!」

「・・・どれ?うわっ、こんなのいつ撮ったの?姉さんから腕組んでる!
しかもピースサインなんて、こんなに砕けた姉さんはじめて見たよ」

「ふふふっ、おれのこと好きかも」


和泉が得意気な顔で、親指を立ててウインクをする。


うん。僕の家族もみんな、和泉が好きだよ。


「姉さんも和泉のことが大好きだって言っていたよ」

「ホント!?やった!!あ・・・でも、うわっ、おれ・・・」

「弟みたいだって」

「え″っ!?・・・えぇ〜っ、何だい、それ。やっぱ年下だからかな・・・」

「年は関係ないと思うよ。っていうか和泉、姉さんを押し付けられなくて良かったね。ホッとしてるだろ」

「うっ・・・」

言葉が詰まり、視線が泳ぎ、あまりにもわかり易い和泉に思わず笑いが零れた。


「くす、くす・・・和泉はやっぱり正直だね。でも姉さんを好きでいてくれるよね」

「あったり前だろ!まあ、あれだよ・・・おれは恵梨さんには、役不足だってわかってるからさ」

「どこが!?姉さんが自分から男の人と腕組んでピースサインなんて、僕か和泉くらいだよ?」


「あーあ。だからおれも聡も、彼女出来ないんだよなぁ」

「あははっ、本当だね」


結局恋愛に関しては僕も和泉も五十歩百歩のレベルに、お互い顔を見合わせて笑った。




今年の夏休みの帰省は、和泉を招待しての一週間だった。

家族は大喜びで和泉を迎え、和泉も初日こそ緊張気味だったけれど、会話が弾むにつれすっかり本来の人懐こい笑顔になっていた。

和泉は家族団欒の食事をとても嬉しそうに、そしてとても懐かしんだ。


悲しみや苦しみはいつしか優しい時のベールに包まれて、愛という名の思い出に変わる。

思い出は温かく愛に満ちて。


懐かしそうに両親の思い出を語る和泉に、父たちは神妙に頷きつつも折々に笑顔を浮かべながら聞き入っていた。

僕の帰りを心待ちにしていた祖父は、明るく健康な笑顔が我が家にまた一人増えたと喜んだ。




「聡!これも見て!ほらっ!じいちゃんと山菜取りに行った時の!」

「・・・和泉、スマホ大活躍だね。良かったね、帰省前に買い換えてもらって」

ようやく先生から了承が出て念願のスマホを手にした和泉だけど、何故か僕も一緒に買い換えに付き合わされた。

「聡だって良かっただろ。おれが誘わなきゃ、まだガラケーのままだったじゃん」

僕はどっちでも良かったんだけど・・・。

「あっ!北沢からメール・・・帰って来たって!おれ、ちょっと行ってくるね!あいつにも見せてくるっ!」

和泉はスマホを握り締めたまま、嬉しそうに飛び出して行った。


まったく、お子様なんだから・・・と、半分呆れつつ僕も自分のスマホを手に取ってみる。

もちろん嬉しくないことはないけれど、まだ操作が上手く出来ないこともあって、面倒になるとつい放り出してしまう。

そんな時は、前のままでよかったのに・・・と、和泉には言えない愚痴が零れた。


「・・・・・・ん?・・・えと・・・あれ?・・・・・・・もうっ!」


今もまた上手く画面が繰れなくて、投げ出してしまった。

カシャッと小さな音がして、ハッとした。

乱暴に置いた携帯の向こうに、窓際に飾っている向日葵が陽の光を浴びて輝いていた。

向日葵の輝きは和泉の笑顔を思い出す。

そろそろと自戒の気持ちが湧き上がった。

こんなふうにすぐ癇癪を起すなんて、僕もお子様だよね・・・と。

机の上に投げ置いた真新しい携帯。


再び手に取り、マスクを着けて部屋を出た。












校内の中心部に位置するオフィスセンター。

最新の設備で統制された近代的な建物は、学校生活における全ての拠点であり24時間灯りが消えることはない。

ロビーの大きな花台には、真夏の象徴向日葵がひと塊のブロックほど活けられていた。

常に適温の館内では、花台に活けられている花を通して四季を感じることが出来る。

マスクで嗅覚は制限されているけれど、ロビー以外にも随所に飾られている季節の花々を眺めながら医務室へと向かう。

受付けで記入し、最も通い慣れた診察室を素通りして二階へ上がった。


病室の入り口に掛けられたネームプレート。


【高等部三年Aclss 加藤 御幸】


コン、コンとノックして扉をそっと開けると、御幸が驚きの笑顔で僕を出迎えてくれた。


「聡!」

「ふふっ、驚いた?時々は、サプライズも良いものだろ」

「嬉し過ぎるサプライズだよ!」


御幸は勉強をしていたのか、テーブルには参考書やノートが広げられていた。

服装も病院の寝間着ではなく、私服だった。


「勉強・・・そっか、受験だものね。御幸、顔色も随分良くなってるし、ちょっと太った?」

「うん、やっぱりわかる?ここ食事のチェックが半端ないんだ。
食べ残しはその都度体調やら理由やら聞かれるからもう鬱陶しくてさ、いやでも完食するようになったよ」

「あはは、御幸らしい。前にも言ったと思うけど、川上先生は食事には厳しいからね」

「ホントだね。でも最近は美味しいんだ、食事が。
とても・・・そう看護士さんに言ったら、タバコの毒で消されていた味覚が戻って来たんだよって」

御幸は長い睫毛の目を細めて、穏やかに微笑んだ。


「良かったね、御幸」

「うん、先生たちには感謝してる。本条先生は・・・聡の言う通りの先生だった」



―ねぇ聡、その指導部の先生って、どんな人?―


―僕たち一人一人に、きちんと向き合ってくれる先生だよ。だから誤魔化せない―


―・・・何を―


―自分自身だよ―




胸いっぱいに広がる熱い思い


傷つき傷つけ合って共に流した涙


その涙の先に求めるのもがあるのだと


僕たちに教えてくれたのは先生


心の欠片を 手に包み込み


大丈夫さと 先生は呟く




「僕も指導を受けたからね。・・・あっ!それに僕は先生の弟とも友達だしね」

少しおどけて親指を立ててウインクをする和泉お決まりのポーズで御幸に応えてみる。


御幸は一瞬きょとんとしたものの、すぐ笑顔を見せた。

「ああ、あいつね。たしかに先生の弟らしいよ、真っ直ぐで正義感に溢れて・・・僕は彼に嫌われているんだろうな」

「一度や二度の仲違いなんて、どうってことないよ。和泉は真幸と同じでハートが熱いんだ」

「だね。ついでに単純なところもね」

「つまり純粋ってことだよね」

「・・・OK、そう言うことにしておく」


言葉とは裏腹に、御幸はとてもいい笑顔で頷いた。



「だけど、本当に元気そうで安心した。私服も許可が出たんだね」

「うん。生活にメリハリをつけるようにって、起きている間は私服だよ。下の医務室へ行く時は制服に着替えるんだ、わざわざね」

「ふふっ、それが川上先生だよ。でもそれがとても大切なことだってことも、感じてるよね」

「ちえっ、聡には敵わないな」


ちえっ≠ニ舌打ちをしつつもいい笑顔のまま変わることない表情は、川上先生の治療が御幸の心身深くまで行き渡っていることを感じさせた。


僕もそうであったように。



「川上先生のことは、僕の方がずっと付き合いが長いからね。
それ以外のことは、御幸に教えてもらってばかりだよ?実はこれも、教えてもらうおと思ってたんだ」

「ん?なに・・・ああ、聡も携帯変えたんだね」

「うん、でもこの機種ちょっと当たり悪かったかも・・・。上手くすべらなくて、すぐ引っ掛かっちゃうんだ・・・」

「どれ?ちょっと貸して。ふうん・・・大丈夫、スムーズに繋がるよ。
たぶんここ、アイコンを指で押さえながら移動するところじゃないかな?」

「そう!そこだよ!もう一度やって見せて!?さすがだなぁ、御幸」

「褒めてもらうのは光栄だけど、ダブルタップからのロングタッチスライドなんて基本操作だよ」

「御幸は出来るからそんなふうに簡単に言うけど・・・」

「聡も出来るよ。いい?こうしてダブルタッチとロングタッチの操作感覚を覚えれば、後は慣れの問題さ。
真幸でも出来てるんだから」


御幸の口から自然に真幸の名前が出た。

お互いの本心が露わになった後でも、いつもと全く変わらない調子にいささか心配していた気持ちも一度に吹き飛んだ。


「相変わらず真幸にはきついね。でも、変わってなくて安心したよ」

「あはは、僕が真幸に優しくなっているとでも思った?ねっ、これ見て?聡」

御幸は愉快そうに笑うと、今度は自分のスマホを片手で器用に操りながら僕に向けた。

「あっ、この花!谷口が指を刺された花・・・トゲがあって、名前が思い出せないんだ。
後で調べようと思っていたんだけどすっかり忘れてた」

御幸が見せたのは、あの時食堂に置いてあった鉢花の画像だった。


「キスミークイック・・・花麒麟って言う方がしっくりくるかな」

「花麒麟!そうだよ、思い出した!・・・だけど御幸、いつ撮ったの?」

「この間真幸が来て、置いて行ったんだ。自分じゃ枯らしてしまうからって、押し付けられた」

「真幸が・・・どこに置いているの?見当たらないけど・・・」

病室をぐるりと一周見回しても、それらしきものは無かった。

「それがね、翌日谷口と来て、またすぐ持って帰ったよ。いや、持って帰らされたって感じだな、ふふふっ、ほんとバカだろ?」

「もう・・・言い過ぎだってば。真幸が持って帰らされたのは、たぶんその鉢花が先生から渡されたものだからじゃないの」



先生が真幸に望むことは・・・。



「ご明察。かわいそうに、谷口なんて必死の形相だったよ」



―悪いな、御幸。これ、返してもらっていいかな―


―全然構わないよ。元々は真幸が勝手に置いて行ったものなんだから―


―・・・痛っ!何でこの花、こんなトゲだらけなんだよ!
谷口ぃ・・・要は枯らさなきゃいいんだろ。こういうの、俺より御幸の方が得意なんだけどなぁ・・・―


―そんなことは百も承知しているに決まってんだろが!その上で先生はお前の部屋に置いたのに、さっそくというか、案の定だ。
もういつまでも御幸と一緒にはいられねぇんだぞ―


もういつまでも御幸と一緒にはいられない


谷口の忠告に、信じられないような真幸の言葉が返って来た。


―たかがこんな花ひとつで、オーバーに言うなよ。まあ御幸とは学部が違うから・・・俺の成績じゃ理数系は無理だしな―


―・・・お前、まさか御幸と同じ大学受験する気か?―


―そのつもりだけど。だからランク下の学部で・・・―


―希望と無謀は全然違うからな。いいか真幸、残念だけどどの学部でも、死ぬほど勉強しても、御幸と同じ大学は無理だ―


―そんな・・・それじゃ俺どこ行くんだよ!谷口!俺、何も考えてねぇよ!―


―そこを考える前に、まずはここを卒業することを考えろ!落第さえしなければ、そこら辺の大学なら大丈夫だろうよ―


―そこら辺・・・俺は御幸と同じ大学に・・・―


―あのなぁ、お前今の自分の状況わかってんのか?いやそれ以前に、そもそも大学に行く目的から逸れてんだろうが。
御幸、ホントこいつ何も考えてねぇな・・・―



「ねっ、聡。僕より谷口の方がきついと思わない?」

「・・ん〜、どっちもどっちって思うけど。だけど真幸にとって二人は、誰よりも良き友であり良き兄弟なんだってことはわかるよ」

「僕はともかく、谷口はそうだよ。・・・実はね、僕も真幸は僕と同じ大学に行くと思っていたんだ」

「そうなの?御幸の第一志望校は国立だよね。僕も真幸の成績じゃ厳しいと思うけど・・・」

「普通はそう思うよね。でも落第スレスレの成績でも、受験になると真幸は実力を発揮する。
この学校を受かったときのように。ずっと・・・トラウマだった」


御幸の心の毒は、真幸に対する劣等感の中で唯一救いだった勉強にも、トラウマという形で負荷を掛けていた。


そして御幸は穏やかな表情で言った。


「僕も真剣に真幸の卒業を手伝ってやらなきゃって、思ったんだ」


きっとそれは、目からウロコが落ちるような瞬間だったに違いない。


「消えたんだね」


「うん。谷口の真顔で」


うん≠ニ頷いた後のおどけるような口調が、御幸の澄み切った心を証明していた。



自然に零れる笑み、尽きない話。

夏の日差しが差し込む午後の病室は、いつの間にか僕たちの影が長く伸びていた。


「もうこんな時間・・・。あまり長居すると、看護士さんに注意されちゃう。御幸、また来るね」

「今度は電話してよ。診察に行っていたりして、留守にしていたら僕が残念だからね」


御幸らしい気配りに思わず頬が緩んだ。

「あはっ、そうする」


「そう言えば午前中の診察、渡瀬と一緒だったんだ」

「えっ!?渡瀬、風邪でもひいたの?」

「いや、禁煙指導だよ。定期的な個別問診があるんだ、渡瀬たちも常習だったからね」

「二度と吸わないって言っていたけど・・・信用を得るって難しいね」

「その信用を積み上げて、やっと指導を解かれるんだよ・・・っていうのは、ありがたい川上センセイのお言葉。
渡瀬と二人並ばされて、延々と説教さ」


苦笑いで肩を竦める御幸に、ひたすら畏まって注意を受けている二人の様子が推し量られた。


「ああそうだ、聡。渡瀬だけどね、いま花屋にいるよ。午後から本条先生に花の補充を頼まれたって言っていたから」

「相変わらず手伝わされているんだね。じゃあ、ちょっと寄ってみようかな」

「うん、そうしてやって。渡瀬は不機嫌そうな顔をしていたけど、すごく先生のことを信頼してそして理解しているのがわかる。
・・・花麒麟の意味も、渡瀬が教えてくれたんだ」



先生が食堂を出るときに、大事そうに抱えていた鉢花。



―先生はひとりひとりの心の内を見ているように


あるべき未来の姿を願うように―



花に託された先生の思い。


渡瀬は自分自身と照らし合せて、誰よりも先生の思いを理解していたんだ。



「花言葉は自立。真幸に向けられた言葉だけど、お互いだったのかも知れない。
真幸の卒業の目途が立ったら、その鉢花を校内の咲いている同じ場所に挿し木しようと思うんだ」

「御幸・・・君のクラスの委員長は相変わらずおせっかいだよね。それより挿し木のアイデアは良いね!」


「いつかね、挿し木した花麒麟が大きく成長している姿を、確かめに戻って来たいんだ。
その頃には僕も真幸も、少しは成長出来ていたらいいかな」


僕は鉢花の挿し木を簡単に良いねと言ってしまったけれど、御幸も特別否定はしなかったけれど。


それは単なる思いつきなどではなく、もっと深く心に刻む決意。


ああ僕も、彼らに負けてはいられない。



「ありがとう、聡。頑張るよ」


「御幸、お互いに!」



そう言い合って、御幸の病室を後にした。












青々と生い茂る樹木の中を、花屋へ向かう。

昼間は大音量のセミの鳴き声も自然の摂理の営みのように、陽が傾き始めるとほとんど違わずして鳴き止む。

夕刻とはいえ、まだまだ外気温は高い。

それでも静かになったセミの鳴き声が、幾分暑さを和らげてくれる気がした。


花屋の裏口に着くと、店の方からシャッターの閉まる音が聞こえて来た。


「渡瀬、手伝いに来たよ!もう閉めるの!?」

「聡?帰省中じゃなかったのか?こんな時期に学校にいるなんて・・・」


渡瀬はちらっと振り向いただけで、すぐ戸締りの作業に戻った。


「この間、帰って来たんだ。一週間だったから、あっという間だったよ」

「一週間?たったの?せっかく長い休みなのに。ご両親や・・・身内の人たちは、聡が帰って来るのを楽しみにしていたんだろう」


渡瀬が両親や・・・≠フ次に姉の名前ではなく身内の人たち≠ニ括ったのは、あきらかに弟の僕を意識したからだ。


これではっきりした。


この間の帰省中、姉宛に送られて来た渡瀬の暑中見舞いのハガキ。

少し恋に奥手な姉のおかげで、渡瀬の姉への思いが弟の僕にまで筒抜けになってしまったわけだけれど。


そんなことをつらつら思い出して返事をしないでいたら、渡瀬が訝しそうに振り向いた。


「・・・聡?」

「え・・あ、うん。そのことについては両親にも姉にも事前に話していたし。
むしろその分、とても充実した帰省だったよ。それより渡瀬、こっち来て」


とりあえず戸締りの作業を終えた渡瀬を花切台と兼用のテーブルに呼び寄せて、来る途中自販機で買っておいた飲み物を両手に翳して訊ねた。


「オレンジジュースとコーラ、どっちがいい?」

「コーラ。ふ〜ん、そういうことなら別に・・・俺がここにいることを、誰かから聞いて来たのか?」

「うん、さっきまで御幸と会ってた」

「ああ、御幸か」


納得した顔でテーブルに着いた渡瀬にコーラを手渡し、僕も席に着いた。

マスクを外すと制限されていた嗅覚が戻って、一気に花の匂いに包まれた。


「ふわぁっ・・・いい匂い。マスク外したら全然違う・・・」

「・・・聡、まだマスク取れないのか?」

「うん。まだ川上先生の許可が下りないんだ」

「川上か・・・それじゃ、なかなかだな」


渡瀬のささやかなため息が、御幸の言葉を思い起こさせる。


「二人とも、川上先生にたっぷりお説教されたんだってね」

「ん・・・まあ、御幸と診察時間が重なったのが運の尽きだな。
君たちはAclssの委員長という立場にありながら・・・から始まって、延々とありがたい言葉を頂いたよ」

「あはは、御幸と同じこと言ってる。ありがたいって言っている割には、全然ありがたそうじゃないよね」

「そうか?このコーラと同じくらいありがたいと思ってるぞ。あ〜、喉が潤う」

「ふふっ、それはありがと。渡瀬も御幸も、川上先生を信頼しているのに素直じゃないんだから」

「うるせっ・・・信頼と説教は別なんだよ」


確かに、他にも同じように思わせる人もいるけど・・・。


「渡瀬は、本条先生にもだよね。御幸が言ってたよ、渡瀬は先生のことをすごく信頼して、そして理解しているって。
花麒麟の意味もね・・・渡瀬は最初から知っていたんだろ」


「御幸・・・あいつ、けっこうお喋りだな。最初からってわけじゃないさ。
あんなトゲトゲの花を大事そうに抱えていたから・・・名前を調べたら花言葉も一緒に書いてあっただけだ」


たったそれだけのことで渡瀬が御幸に先生の思いを伝えることが出来たのは、ひとえに先生に対する信頼と理解が成り立っていればこそのことだ。


「・・・何だ?・・・何が可笑しいんだ」


人に言われて、客観的に振り返ることで気付くこともあるしね。


見る見るうちに渡瀬の顔が赤らんだ。


「何も可笑しくないよ?花言葉って素敵だなって、思っただけだよ?
これからは渡瀬とも、花談義が出来そうだね。あ、今日は手伝いに来たんだけどね」

「ちえっ、笑いながら言うな。俺は好きで花の世話をしているわけじゃないんだ、花談義なんて出来るか。
それに片づけも終わっているから、手伝ってもらうこともないね」


予想通り、そっけなく返される。

渡瀬はそろそろ引き上げる体勢で、残りのコーラを一気に飲み干した。


・・・素直じゃないんだから。


「ねぇ、渡瀬。花談義が出来ないなら、恋談義をしようか?例えば、暑中見舞いのハガキとか」


・・・あれっ?

ちょっと・・・渡瀬が驚きの表情で固まっている。

これは予想以上の反応に、僕の方が焦ってしまった。


「あのさっ!あのねっ、姉さんが僕宛と勘違いしたんだよ、まさか自分に来るなんて思いもしてなくて。
それにちょうど帰省中だったからよけい・・・でも内容は見てないよ?」


「・・・・・・・・・」


渡瀬はテーブルに頬杖をついて、そっぽを向いてしまった。


僕よりずっとそういうことには余裕だと思っていたのに。

でも・・・やっぱりハガキの話は良くなかったかな。


「・・・渡瀬?気を悪くした?ごめんね?」


恐る恐る呼びかけると、ゆっくり体を起こして僕の方に向き直ってくれた。


「何で聡が謝るんだ?読まれて困るものならハガキで送らないだろ。しかも暑中見舞いだしな」

「そう、良かった。急にそっぽ向かれたら、怒ってるのかなって思うだろ」


僕がそう言うと、渡瀬はふわりと柔らかい笑みで言葉を返した。


「嬉しかったんだ」

「嬉しかった・・・何が?」

「先生の宿舎で、聡が恵梨さんのことを教えてくれたことがさ」

「あれは姉さんが気にしていたから・・・。渡瀬だって呆れてたじゃない、律儀な姉弟だって」


うっ、と詰まって、渡瀬の視線が泳ぐ。


「あれは・・・その・・精一杯繕って・・・あの状況だぞ」


精一杯繕って・・・渡瀬の言葉から推察すると、先生の宿舎で姉の話が出たもっと前から、渡瀬は姉のことを思っていたことになる。


「・・・それはそうだけど。でもそれまでだって、姉さんのことなんてひと言も言わなかったじゃない」


再び渡瀬の表情に柔らかい笑みが戻った。

そして穏やかに切り出した。


「言えないだろ、今のこんな俺じゃ」

「・・・校則違反のこと?今の渡瀬は謹慎前よりスマートじゃないけど、僕は今の渡瀬の方がかっこいいと思うよ。
もうそれについての清算は十分じゃないの」

「そうか?聡にそう思われているってことは、俺も少しはまともになったのかな。
清算は失くした信用をまた一から積み上げて、禁煙指導が解かれて・・・まだまだだな」



罰を受けるのは簡単だけど、受け入れるのは難しい。


渡瀬たちに与えられた罰は一か月の謹慎だけだったけれど、本当の罰はその後から始まる。


それを受け入れるのは、犯した罪の自覚と自分を律する心。


渡瀬、君はやっぱり学校を代表する高等部三年Aclssの委員長だよ。


僕たちのお手本だ。


僕ももっと委員長の自覚を持って何事にも当たらなきゃ、また君に叱られてしまいそうだ。



渡瀬は飲み干したコーラの缶を手で弄びながら、訥々と心の内を話してくれた。


「恵梨さんのことは、一緒に駅まで帰った時から気にはなっていたんだ。
でもそのすぐ後、聡が面会謝絶になって見舞いも禁止されただろ」


渡瀬は姉さんのことが気になっていたものの、とても声を掛けられる状況にはなかったこともあって自然に気持ちが収まっていった。

またその頃から学校生活に退屈を感じて、タバコに刺激を求め始めた。

危うい十代の思春期は、時に揺れ動く気持ちを抑えるエネルギーが負に働き、ほんの僅かな心の隙間にさえも悪はスルスルと忍び込む。

退屈とスリルと中毒性、常習になるのはあっという間だった。

勉強もスポーツも人並み以上にこなし、常に学年の中心にいた渡瀬たち。

そんな彼らであっても、どこかで間違ったものは必ずどこかで破綻する。

高等部三年の進級を控えた春休み最後の日、渡瀬たちは首に掛けていたオレンジ色の名札紐を外した。


オレンジ色の名札紐は、明日から高等部三年生の証。


だがその証は、先生の手で回収された。



「聡、俺は初めて怖いと思った。どう足掻いても後悔しても、戻ることのない現実。
新学年を迎える明日が怖くて、その先はもっと怖かった」


泣き崩れる谷口と、大きく溜息をつきガックリと肩を落としていた三浦。

渡瀬だけが、まっすぐ前を見ていた。

僕にはその時の渡瀬が、あきらめとも開き直りとも取れるように見えたけれど。

それは渡瀬が初めて見せた茫然自失の姿だったのだ。



「先生の宿舎に着いた時、俺たちはもうほとんど放心状態で、何をどうしていいのか全く考えることが出来なかった。
食堂に集められてぼうっと座っていたら、いきなり先生が倒れた」

「倒れたの!?随分赤い顔していたから・・・結局風邪だったんだよね」

「ああ。けどそのお蔭で、怖いとか放心状態とか、そんなものは一瞬でふっ飛んだ。
目の前で倒れられてみろ、とにかく動くしかないだろ」


幸か不幸か先生が倒れたことで渡瀬たちの目が一変に覚め、そこから退屈とは無縁の謹慎生活が始まった。

医務室に行きたがらない先生の看病。

しかも大人しく寝ていないので三浦と谷口にも風邪が移り、三人の看病に加えて花の世話が渡瀬一人に圧し掛かった。

広大な敷地に点在する温室と花屋を日に何度も行き来し、やっと三浦たちが回復したと思ったら今度は流苛が来た。

時間も余裕も、そして何より疲れて、真新しい三年生の教科書を一ページも開けることが出来なかった。


「だけど途中から流苛が心を開いてくれるようになって、信頼を得るってこういうことなんだと思った。
こんなことは教科書には書いてないからな・・・流苛に教えられた」



渡瀬たちは、体験の中で学んでいた。


頭で考える理屈よりも、心で感じる大切さ。


人として一番大事な、思い遣る心と慈しむ心。


そして一日を、一生懸命生きること。



「花屋では時々和花さんと話す機会があって、他愛のない話を嫌な顔もせず笑顔でずっと聞いてくれるんだ。
その雰囲気がどこか懐かしくて・・・恵梨さんを思い出した」



和花さんの存在は、渡瀬に一旦収まっていた姉への気持ちを再び思い起こさせた。



「だけど今さらこの状況で、自分から聡に恵梨さんのことを訊ねるなんて出来なかった。
これも自業自得だと諦めていたから、聡から話を聞いたときは本当に嬉しかった」



僕の家に和泉を招待する許可を頂いたので、先生の宿舎に挨拶に行ったときだ。

再びタバコの嫌疑の噂が広まるのを覚悟で、先生の宿舎で御幸を待っていた渡瀬。

渡瀬の行為は中毒の怖さを身を以って知っているからこそ、体を壊す前に自ら断ち切る事を御幸に呼びかけていたのだ。


思い遣る心と慈しむ心。


僕はもう十分清算出来ていると思うけど、それでも君はまだだと言うんだね。



「恵梨さんも覚えていてくれていたんだと思うと、まあ・・・暑中見舞いくらいなら迷惑にならないだろうと思ったんだ」



迷惑どころか、姉は頬を仄かにピンク色に染めて、他のハガキと一緒に大事そうに抱え込んでいた。


密かな思い人同士の恋の行方は、片や自分に厳しく片や奥手で、なかなか一歩が進まない。


姉の恋を応援する僕としては、ここはやはり渡瀬に頑張ってもらいたい。



「姉さんは喜んでいたよ」

「そうか、良かった。聡からよろしく言っておいてくれ」

「それだけ?」

「それ以上は・・・さっき言っただろ」


―言えないだろ、今のこんな俺じゃ―



だから、困るんだけど。


「渡瀬がそれでいいなら仕方ないけど、最近姉さんボーイフレンド出来たみたいだからさ」

「えっ・・・」

「彼氏とまではいかないけど、遊び友達?みたいな」

「そっか・・・それならよけい邪魔しちゃ悪いな・・・」


渡瀬はついっと、視線を逸らした。




〜〜♪・♪〜〜#〜♭〜♪・♪〜〜


「ん?携帯が鳴ってる・・・誰だ?」

ポケットから取り出した携帯を見て、渡瀬の眉間が曇る。

アドレスにない番号のようだった。


[ もしもしー! ]


声を聞いて一気に眉間が寄った・・・ここまで聞こえて来た声の主は、和泉だった。

同時に、ベコォッ!と缶の潰れる音がした。


[ 渡瀬ー!おれだけどさ、フリースロー対決一週間後に決まったから!練習しとけよ!  ]


「聡!何であいつが俺の番号知っているんだ!教えたのか!」


「僕じゃないよ」


・・・それこそ今さらだと思わないのかな。



[ 渡瀬ー?聡もいるのー?  ]


「ああ!それよりお前誰から・・・」


[ じゃあ、聞いた?おれもスマホだぜ!カメラ機能やっぱ最高!今度見せてやるよ!]


「そんなことはどうでも・・・おいっ!もしもしっ!も・・・」


一方的に切れたようだった。


ああいうところが、やっぱり先生と似ている。


無残に握り潰されたコーラの缶が、音を立ててゴミ箱に吸い込まれた。



「聡っ!!あいつにも言っておけ!!
人の話を聞く様になったらバスケでもスマホでも付き合ってやるってな!!帰るぞっ!!」








渡瀬、僕はね、いま不思議なほどに気分が高揚しているよ。


君がいくら和泉を嫌がっても、和泉は僕の友達で。


和泉がいくら御幸を嫌がっても、御幸は僕の友達だから。


人と人が係わり合うって、いいことばかりじゃないよね。


嫉み、劣等感、蟠り、軋轢、時に力に訴える争いも生まれるけれど、でも僕は信じている。


その葛藤があればこそ、人は涙や痛みの中で解り合える心を知るのだと。


だって、ほら。


和泉が直接君に連絡を取ったように。




「渡瀬、待ってってば!」


花屋の裏口から夕暮れの道を、肩を怒らせ大股で歩く渡瀬の後ろを追った。








NEXT